お笑い芸人シソンヌのじろうさんが意味深な帯文を書いたデビュー作『あと5秒愛してる。』や、湖池屋のマーケティングコンサルタントという異色の経歴で話題を呼んでいる作家のソナチネ詩音。

 

彼女の表現は、言葉と写真。ふたつでひとつの“コトグラフ”。

 

見る者の心臓に直接触れてくるような生の言葉と、色と形で描く詩のような写真。ふたつの旋律が溶けて響き合う唯一無二の彼女の表現は、「写真詩集」のジャンルに新しい風を吹き込んだ。

 

そんな彼女に、独自に築き上げた表現手法やその思想、そしてデビュー作の誕生秘話を改めて聞きました。

 

 

 

 

 

 

旦那さんには秘密の創作活動

 

 

 

— ソナチネ詩音さんは、旦那さんには秘密で創作活動をしているそうですね。どうして秘密にしているのですか?

 

結婚しているのに恋愛のことを書いていいのかと、表現が狭められるのが嫌なのです。その不自由さを取り払いたくて、秘密にすることにしました。表現者として、誰にも遠慮せずに「これが私だ」と言えるような、完全に自由な状態になりたかったんです。

 

 

— たしかに、作品を拝見すると恋愛がテーマのものが多いですよね。それはなぜでしょう。

 

そうですね…。思春期の頃から、感情に押しつぶされないようにする手段として思いの丈をノートに書いてきましたが、自分にとって恋愛の詩を書くというのは当たり前のことすぎて、今まで考えたことがありませんでした。

たぶん、恋愛は私の妄想力がいちばん働くテーマなのだと思います。経験していなくても自分の中でリアルに感情を再現できたりするんです。それはなぜかというと、単純に私が恋愛体質だからなのだと思います。

 

 


ミステリアスな雰囲気のソナチネ詩音さん

 

 

 

 

 

ときどき、「僕」が降りてくる

 

 

 

—『あと5秒愛してる。』には、ドキッとするシチュエーションの詩が多いですよね。実話なのかフィクションなのか気になります。

 

どちらもあります。たとえば、不道徳な恋愛がテーマの詩に関しては、自分が学生の頃「彼女ではなく2番目」だったときの経験を大人の恋愛に置き換えて書いています。シャボン玉について書いた女子高生の詩は、思春期の頃に自由になりたいと思っていた気持ちの本質を思い出しながら書きました。

 

 


『あと5秒愛してる。』より


「5時間目の空想」(一部抜粋)

 

 

— 詩の主語が「私」だったり「僕」だったり、複数の人物がいるように感じることがあります。ソナチネ詩音さんにとって、詩を書くのは演じるような感覚に近いのでしょうか?

 

そうですね。妄想の中で演じている感じです。「僕」のシリーズは、20代の男性なんですよ。くすぶっていて、まだ反骨心が抜けきらない青年。彼が、社会で生きていくのと自分のやりたいことが一致しないもどかしさを語り、それを私が言語化するような感覚です。私が書くのではなく「僕」が降りてくるんです。

 

 


「感情の遠心分離機」

 

 

 

 

 

シソンヌじろうさんとの関係は?

 

 

 

—『あと5秒愛してる。』の帯文を書かれたお笑い芸人シソンヌのじろうさんも、コントで女性を演じると絶妙ですよね。作風に共通するところがあると思ったのですが、おふたりはどういう関係なのですか?

 

どうでしょうね…。しいていえば、じろうさんが1枚の写真からその人の人生を想像して書いた『サムガールズ – あの子が故郷に帰るとき – 』という本があるのですが、それを読んだときに、妄想仲間かもしれないと思いました。じろうさんとの出会いについては、秘密にしておきますね。

 

 

— 帯文に「ぶたれた」と書いてありますが、それは本当ですか?

 

あれは実話です。私は覚えていないのですが、じろうさんの中では忘れられない記憶らしいです。

 

 

— なんか、よけいに謎が深まってしまいました…。

 

みなさんの妄想の中でご自由に再現していただければと思います。

 

 

 

 

 

銀色夏生さんは、ずっと私の人生の中にいます

 

 

 

— では、創作の話に戻りますが、言葉と写真を組み合わせるというアイデアはどこからきたのですか?

 

恋愛の詩を写真と組み合わせるというのは、おそらく銀色夏生さんが第一人者ではないかと思います。私は銀色夏生さんの写真詩集をすべて持っていて、辛い恋愛をしていたときに読んで自分を落ち着かせていたんです。だから、私にとって、詩と写真を組み合わせるというのは自然なことでした。

銀色さんの詩に触れるうちに、いつしか自分で詩を書きたいと思うようになり、今の形になったんです。

 

 

 

 

— ソナチネ詩音さんの写真の色味や質感は本当に独特ですよね。どこでも目にしたことがない世界観です。もともと写真は勉強されていたのですか?

 

いえ、独学です。5年前にはじめたのですが、最初はカメラの使い方が分からず、目も当てられない状態でした。教室に通ったりもしたのですが、基本的に性格が天邪鬼なので、だれかの真似をするのがすごく嫌なんです。だんだんカメラの機能を覚えて、レタッチを研究して、少しずつ自分の世界観をつくってきたような感じです。

 

 

 

 

 

「六芒星のボケ」との出会いから、オールドレンズ沼にハマる

 

 

 

— 5年前に、写真をはじめたきっかけは?

 

5年前になんとなくInstagramをはじめて、タイムラインに流れてくる色々な写真を見るようになったんです。ある日、背景に六芒星の形がキラキラと星のように写っている写真が出てきて、「なに、このファンタジーなボケ!」と一目で心奪われました。そして、私もこんな写真が撮りたい! と思ったんです。

 

 

— 六芒星のボケ。たしかに神秘的かもしれませんが、1枚の写真に一瞬で心奪われるなんてすごいですね。

 

これはカメラをはじめてから分かったことですが、自分が惹かれる写真にはある共通点があって。それが「被写界深度の浅さ」なんです。被写界深度が浅いと、ピントを合わせたところ以外すべて、何があるか分からないほどボケるんですね。そういう写真が好きなのだということに気づきました。とにかく、その六芒星のボケに出会って、いてもたってもいられなくなってカメラとレンズを買いました。

 

 

— 1枚の写真が運命を変えたんですね。

 

はい。その六芒星の写真の投稿に、ロシアの「Industar-61」というオールドレンズを使えばこういうボケが出ると書いてあって、よく分からないけどそれがないとはじまらない! と思ってAmazonで調べて買いました。

ロシアからの輸入だから到着まで1ヶ月かかって、やっと来たと思ったらアダプターがないと付かないと知ってまた注文したり。やっとすべて整って撮れるとなったときは、「あぁ、ついにあの六芒星が見えるんだ…!」という感じでした。

そこから”オールドレンズ沼”にハマっていき、写真を撮るだけではなく、オールドレンズの魅力を伝えるために写真教室も開くようになっていった、という感じですね。

 

 


ソナチネ詩音さんが実際に「Industar-61」で撮影した六芒星のボケ写真

 

 

 

 

 

花を人として、物語のなかに見ている

 

 

 

— そういえば、ソナチネ詩音さんの写真は花の写真が多いですよね。なぜでしょう?

 

たしかに、なぜでしょう。カメラを買ったばかりのときは普通にパンケーキを撮ったりしていたのですが、いつの間にか…。

もしかしたら、主人が花が好きだから、その影響を受けたのかもしれません。道端に咲いている花に気づくような人なので。デートも植物園によく行きました。私の中で、花はちょっと恋愛に近いのかもしれません。

でも、私は花を撮るとき、花を撮っているという感覚はないんですよ。花を人として、擬人化して見ているので、構図をつくるときに物語の登場人物として扱っているんです。頭の中でぶつぶつ呟きながら。ちょっと傍から見たら気持ちわるいかもしれないですが。

 

 

 

 

 

 

 

詩と写真。どちらも添え物ではなく、ふたつでひとつ

 

 

 

— 花を擬人化して撮るというのは面白いですね。言葉と写真はどちらを先につくるのですか?

 

どちらもあります。成り立ちは作品ごとに違いますね。

具体的な作品でいうと、これは、もともとレンズが欠けていて、こういう写真が撮れたんです。それがいびつな赤い月のように見えて、言葉が降りてきました。

 

 


『あと5秒愛してる。』より

 

 

また、これは言葉が先ですが、写真が決まった後に鳥というモチーフが加わって詩に変化が加わりました。

 

 


一部抜粋

 

 

 

 

 

「普通だね」と言われて、見方が変わった

 

 

 

— 言葉と写真が関わりあってひとつの作品になっていくのですね。それらをまとめた『あと5秒愛してる。』は、表紙から裏表紙まで流れるような調和があり、1曲の音楽のような完璧さを感じました。編集の過程で印象的だったことはありますか?

 

最初にお伝えしたいのは、私は本当にラッキーだったということです。出版社の社長である松崎義行さんも、編集を担当してくれた谷郁雄さんも詩人で、デザイナーの則武弥さんも詩集をたくさん手がけてきた方なので、そんな詩に理解のある方たちに本の制作に携わっていただけたのですから。

印象的だったのは、初めて会社を訪ねて自分で制作した作品集を見せたとき、社長の松崎さんに言われた言葉です。

松崎さんは、本の表紙にもなっているゴミ収集車に引き込まれていく花の写真を、すごく気に入ってくださって。ただ、そのとき私が写真につけていた「ドナドナ」というタイトルと詩を見て、「普通だね」と言ったんです。

「この写真を悲しい瞬間として捉えるのは普通だね。僕には、黄色と黒の斜線が希望に見える。希望の旗が振られているように見える」と。

そういう見方があるのだと衝撃を受けました。そして、もう一度違う視点でこの写真を捉えなおせないかな、と思って生まれたのが、タイトルにもなった「あと5秒愛してる。」の詩です。

この詩が生まれたのは、あのときの松崎さんの言葉のおかげなんです。私の中でも、新しい扉を開いてもらったというか、何かが変わりました。

 

 


本のタイトルもラストを飾る詩も、この写真から生まれた

 

 

 

 

 

「切ない」という‟甘いストレス”。その純度と透明感を表現したい

 

 

 

— 本の発売後、何か反響はありましたか?

 

SNSを通して「短編映画を観たような読後感だった」という感想をいただいて、すごくうれしかったです。あと、書店の方が「夏をソーダ水と表現する人はたくさんいても、写真でそれを表現できる人は他にいない」と本を紹介してくれているのを見て、感動しました。

それから、私の母の友人が、「種になって 風に乗って 好きなところでまた咲くね」という言葉で終わる詩を気に入ってくださって、「自分のお葬式でこれを読んで欲しい」と言ってくれたそうなんです。残された人に希望を持たせたいと、この詩を選んでいただいたのかな。想像しただけで泣けてしまいます。

みなさん、私が書いた以上の深さで詩を捉えてくださっているのだと感じます。

 

 

 

 

— 受け手の感じ方はそれぞれ自由で、だからこそ表現は無限に広がっていくのだと思います。最後の質問になりますが、作り手としての創作のテーマやこだわりがあれば教えてください。

 

私のテーマは、「切ない」という感情をどう因数分解するか、だと思います。

私は、10代の頃から、思春期のモヤモヤや恋愛感情など人間の心に興味を持ってきて、大学は心理学を学びました。でも、「切ない」という感情については、未だに自分でも答えが出ていないんです。

「切ない」って、”甘いストレス”だと私は思っていて。中毒性があり、それを味わいたいためにみんな恋をしているのかな、と考えたり。

「切ない」は、時々ドロッとしていますが、そのドロドロには純度があり、透明感もある。そういう矛盾を孕んだよく分からない人の感情を、言葉と写真で表現できたら、と思うんです。

 

 

— 今後の創作も楽しみです。今日は本当にどうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

〈 おまけの質問 〉

 

Q. 湖池屋でマーケティングの仕事をしているソナチネ詩音さん。仕事と表現活動はまったく切り離して考えていますか? それとも共通している部分が多いですか?

 

外から見たら違うように見えるかもしれませんが、私は両方、同じ頭の使い方をしていると思っています。よく、自分の脳内の構造を説明するとき、「ロジカルな右脳と破天荒な左脳」と表現しているんです。ふつう、感覚的なのが右脳で論理的なのが左脳ですよね。でも、私は逆方向にシンクロしている両脳思考なんですよ。だからこそ、それぞれの現場でオリジナリティを発揮できるのかなと思います。仕事でも表現活動でも、この基本構造は変わりません。

 

 

   
過去に行われたスナックメーカー湖池屋×ソナチネ詩音 キャンペーン(※終了済み)

 

 

 

 

 

 

(取材・文 笠原名々子)

 

 

 

 

《 ソナチネ詩音さん プロフィール 》

 言葉と写真の表現者「コトグラフ作家」。写真教室主宰・講師。マーケティングコンサルタント。第5回写真出版賞アート部門優秀賞受賞。

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《 本について 》

あと5秒愛してる。
著者 ソナチネ詩音
男女のさまざまな愛のカタチを鮮やかに結晶化させた写真詩集