コンプレックスが「世界を巡る自転車旅」の原動力。旅の中でみえてきた日本の姿や幸せの形とは?

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By 市岡光子・mitsuko / 2022.05.29

 

広大なユーラシア大陸と、時に過酷なアフリカ大陸の2万5千kmを自転車で走り切り、30カ国を旅した人がいます。広島県出身で、元営業マンの友竹亮介さんです。

 

学校も会社も「そこそこ」の及第点をクリアしてきた人生に、ずっとコンプレックスを感じていたという友竹さん。大きな困難に立ち向かい、心から情熱を持って取り組めることを探し求め、世界を巡る自転車旅に出ようと決意したと語ります。

 

友竹さんは旅の中でどんな経験をして、何を感じたのでしょうか。書籍の制作過程や今後の展望も含め、話を聞きました。

 

 

 

話を聞いた人:友竹亮介さん

 

 

世界を巡るサイクリスト

1988年生まれ、広島県出身。兵庫県立大学を卒業後、メーカーの営業マンとして3年間働くも、「本当にこのままでいいのか?」と迷いが生じたことをきっかけに脱サラ。専門学校で英語を学んだ後、英語講師を経て、30歳となった2018年に世界を巡る自転車旅に出発。旅を「人生の一大プロジェクト」と位置づけ、企業の協賛を得ながら、ロゴマークやWebサイトも作成。573日をかけてユーラシア大陸とアフリカ大陸の約2万5千kmの道のりを走破した。南アフリカ共和国の喜望峰到達後は、新型コロナウイルス感染症の影響で旅を無期限の延期に。現在は日本にて、書籍執筆や写真展の開催をはじめ、新たな挑戦に向けて模索中。

 

 

 

「そこそこ」な人生から、自転車での世界旅行に出た理由

 

 

―友竹さんがおよそ1年半かけて取り組んだ「自転車での世界一周旅」について、改めて概要を教えていただけますか?

 

2018年5月18日から中国の上海を皮切りに、自転車で世界4大陸を走破する旅を開始しました。2019年12月に1年半をかけてユーラシア大陸とアフリカ大陸のおよそ2万5千kmを走り切りました。その後、一旦体制を整えるため日本に一時帰国していたのですが2020年初頭から新型コロナが猛威をふるいはじめてしまい、残る南北アメリカ大陸への旅は無期限で延期している状態です。

 

―友竹さんはもともとメーカーの営業マンとして働いていたそうですね。安定した会社員を辞め、世界一周の自転車旅に出ると決断した原動力はどこにあったのでしょう?

 

そうですね……思い切った決断ができたのは「自分の足で人生をきちんと歩んでいきたい」という想いが強くなったからだと思います。

私は世界一周をはじめるまで、勉強も仕事も「そこそこ」うまくやってきたタイプなんです。でも、スポーツや勉強に心から熱中して成果を出している人と比べると、挑戦もなければ情熱も宿らない自分の生き方にずっとコンプレックスを感じていました。

 

―そのコンプレックスが、友竹さんを世界への挑戦へと駆り立てたのですね。

 

はい。コンプレックスに蓋をして生きることもできたかもしれませんが、兄の結婚式をきっかけに自分の問題にきちんと向き合おうと思いました。

式場で兄夫婦と家族が幸せそうにしている姿を見て、純粋に「ああ、自分も幸せになりたいな」と感じたんです。そこから、自分にとっての幸せについて考えたとき、やはり本当にやりたいことに挑戦したいと思いました。それで、以前から興味があり、好きでもあった英語を専門学校で学び、30歳をターニングポイントとして世界一周の旅に出ようと決めたんです。

 

 

―なるほど。世界一周の方法として「自転車」を選んだのはなぜですか?

 

専門学校時代にインドやアメリカ、カンボジアでバックパッカーを経験していたので、違う方法で旅がしてみたかったのと、自分自身の長年のコンプレックスを克服するためにも難易度の高い旅に挑戦してみたかったからです。

 

―今回の旅にスポンサーをつけ、プロジェクト化したのはどうしてだったのでしょう。

 

世界一周旅に関わってくれる人を増やすことで、誰かの背中を押すきっかけになるのではないかと思ったからです。

母校の専門学校で英語講師として働いていたとき、有り余るエネルギーを持てあまして悩んでいる学生と触れ合う機会が多くありました。「そこそこ」で生きてきたことにコンプレックスを抱えていた私が世界一周に挑む姿を発信することで、かつての私のような迷いや悩みを持つ人たちを勇気づけられるんじゃないかと思ったんです。

 

 

 

 

世界の人とふれあう中で見つけた、旅の醍醐味と「日本」の姿

 

 

―書籍を読んで、食事や泊まる場所、トラブル対応などで、世界中の人が友竹さんを助けてくれたエピソードが印象的でした。

 

ありがとうございます。世界のあらゆる地域で、地元の方が見ず知らずの私を助けてくれました。みなさん本当に自然に手を差し伸べてくれるので、私自身もすごく驚き、感動しました。

 

―全く知らない旅人を助けることは、日本ではあまり見ない光景かもしれません。

 

そうなんですよね。本を読んでくれた友人・知人からも同じような感想をもらいました。

しかも、イタリアで自宅に泊めてもらった旅好きの男性からも、似たような話を聞いたことがあるんですよ。その方は自転車でアジア各国を旅したことがあるそうなのですが、「日本は便利だけど、旅の間僕はずっと独りだった」と話してくれて。その話を聞いたときに、悲しいことに日本人である私自身も「日本ってそういう国かもしれないなぁ」と思ってしまったんです。日本は物質的、経済的には豊かですが、人間関係や心の面で豊かかというと、微妙なところかもしれません。

だからこそ、旅の初めの頃は、現地の人の助けを受け入れるのに迷いを感じていました。

 

―そうだったのですね。それはどのような迷いだったのでしょう?

 

多くの方が見返りも要求せずに助けてくれるので、いろいろなことを考えてしまったんです。私が提供してもらった食事代を稼ぐのに、この国の人たちは何時間働かなければいけないんだろうと考えてしまうと、好意を素直に受け取れず「1人で野宿していた方が気が楽だ」とまで思っていました。

でも、中東のイランに着いてから考えが少しずつ変わりました。今回の旅の意味を改めて見つめたとき、醍醐味はやはり「人と関わること」だと思って。

各国のさまざまな人から受け取ったご恩を、その場でお金という形で返すことはできないけれど、日本で何かしらの形でエピソードとして伝えていくことで現地の人への恩返しになるんじゃないかと考えるようになったんです。それからは、旅の中で積極的に人と関わって素直に恩を受け取れるようになりました。

 

 

―なるほど。今回の旅を通じて、ほかに友竹さんの中で変わった部分はありますか?

 

先ほどの話にもつながりますが、「日本はすごく恵まれた国だ」という認識がとても強くなりました。

恵まれた国にいるからこそ、できることはたくさんある。私自身もこれからさらに行動していきたいですし、この本を読んでくださった皆さんにも、ぜひこの恵まれた環境の中でいろいろなことにチャレンジしていただきたいなと思います。

あとは、本の中にも書いたエピソードなのですが、上海に向かうフェリーの中で大陸を前にしてとても不安がっていたら、あるカナダ人女性から「Just a world(たかが世界よ)」と声をかけてもらったんですね。世界の半分の大陸を旅した今、私自身も同じように感じています。自転車旅で出会う世界の人たちは、なんにも怖いことはなくて、みんな普通の人たちでした。まさに「Just a world」だと思います。

 

 

 

旅のゴール「喜望峰」で見えたこれからの幸せの形とは

 

 

―旅の経験を文章にするというのは、とても大変な作業だったのではないでしょうか。本の執筆で意識されたことはありますか?

 

まず、書くエピソードを厳選することをすごく意識しました。今回の旅はどの国の思い出も本当に濃いものになったからこそ、選ぶのが大変だったんですね。

でも、すべてを書こうとすると、本の内容が「広く浅く」なってしまう。おもしろくない本になってしまうことは、執筆にあたって恐れていたことでした。

また、それぞれの章の導入部分の文章はなるべく読者を惹きつける書き方を目指しました。「ヨーロッパの○○地域では」という大きな視点から小さな視点へと狭めていく書き方ではなく、いきなりピンポイントの具体的な地域の話から書くようにしたんです。

 

具体的な地名からはじまる書き出しにグッと惹きつけられます。

 

あとは、編集者さんとのコミュニケーションの中でできあがっていった部分も大きいですね。本の主人公である私のキャラクターの描き方にアドバイスをもらったり、各章の合間にコラムを入れて旅のガイドのような読み方もできるようにしたり、さまざまなアイデアをいただきました。

 

各章の間のコラム。手描きの臨場感があり、眺めていると旅に出たくなります。

 

いろいろな試行錯誤を経て、旅の様子をリアルに感じてもらえるような本が完成したのではないかと思っています。

 

―実際に完成した本を手にしたとき、いかがでしたか?

 

とてもドキドキしました。自分ひとりで原稿を書いていたときの想像をはるかに超えたものができあがったなと思って。特に表紙はもちろん、中の写真も配置からカラーの使い方までしっかり作り込んでいただいて、ビジュアル面での感動はすごく大きかったです。

 

友竹さんの撮影した数々の写真に心を奪われます。

 

また、地元の広島県で書店にも訪問したのですが、大型書店の棚に並べてもらえたり、原稿を書くために通っていた喫茶店の近くにある書店にも本を置いてもらえて、とても感慨深いものがありました。

 

ー最後に、今後はどのような活動をしていきたいと思いますか?

 

今後について、まず南北アメリカ大陸での旅については長期的なスパンで延期します。まだ気軽に旅に出られる状況ではないのと、私自身が30代半ばという年齢になったため、改めて今後の人生を見つめ直したいからです。

2大陸制覇の旅は、私の人生の大きな軸の1つになりました。だからこそ、コロナ禍で旅を中断せざるを得なくなったことにも、意味がある気がするんです。今は自分が取り組むべきことに向き合いつつ、長い人生の中でいつか残りの2大陸に挑戦できればと思っています。

旅を休止している間は、誰かと幸せを分かち合えるような形で活動をしていきたいなと模索中です。今回の旅のゴールである喜望峰に到達したとき、自分史上最高の喜びを感じることはできましたが、同時に「ひとり」であることも強く感じてしまったんです。1人で感じられる幸せには限界があると気づいたからこそ、今後は喜望峰で感じた喜びのさらに先にある「誰かと一緒に感じる幸せ」を追求していきたいと思っています。

 

喜望峰を超える喜びを求めて、「誰かと一緒に感じる幸せ」を追求したいと語る友竹さん。

 

就職や地域活性化に貢献できる活動などさまざまな形でこれからの生き方を模索しながら、今依頼をいただいている学校やカフェでの講演活動など、書籍を軸にした活動も行っていきたいです。

 

今日は貴重なお話をありがとうございました!

 

 

 

 

( 取材・文:市岡光子  )