【谷川俊太郎さんは“永遠の命”を持っている】
出版業界で共に本づくりをしてきた松崎社長にインタビュー

ニュース
2025/02/13

『二十億光年の孤独』でデビューして以来、数々の名詩を発表し、日本を代表する詩人になった谷川俊太郎さん。
詩以外にも『スイミー』『ピーナッツ』といった海外作品の翻訳や、今でも歌い継がれている童謡・合唱曲の作詞などを手掛け、多くの人々を魅了してきました。

 

みらいパブリッシング/ポエムピース の松崎も、そんな谷川さんの言葉に触れて影響を受けた一人だといいます。
長年、詩や表現の世界で谷川さんと関わり、いくつもの作品づくりを共にしてきた松崎から見た“谷川俊太郎”はどのような人物だったのか?
貴重な思い出話やこれまでの作品づくりについてインタビューしました!

 

・インタビュイー・

みらいパブリッシング/ポエムピース
発行人 松崎義行
1964年東京吉祥寺生まれ。
15歳で出版社を設立し、第一詩集『童女 M-16の詩』を刊行。
現在は2つの出版社を経営しながら、自身も詩人として作品を発表し続けている。
著書:『10秒の詩-心の傷を治す本』『幸せは搾取されない』ほか多数。

 

本嫌いの少年、運命の本と出会う

 

−松崎社長と谷川俊太郎さんの出会いについて教えてください!

 

出会いは、8歳の時に読んだ『ワッハワッハハイのぼうけん』という絵本でした。
当時、僕は読書が苦痛で嫌いだったんだけれど、『ワッハワッハハイのぼうけん』だけは読むのが楽しくてしょうがなくて、覚えるぐらい読み込んでいました。

ワッハワッハハイの「ぼうけん」は、始まってすぐに終わっちゃうんですよ。
主人公のワッハワッハハイが歩いていたら、どんどん坂が急になってきて、最後には崖になって飛び降りて膝小僧をすりむいて。思わず泣いたら、涙に虹がかかっておしまいって、そういう話なんです。物足りないですよね。
しかも、その本には「これはほんとうの話なんだから、しかたがない」と作家の言い訳が書いてあるんです。
僕はそれまで本というのはすごく真面目なもので、完成されたものだと思っていたんだけれど、その文を読んで「こんな不真面目な本があるんだ!」と子供心にびっくりしました。

それから、「ワッハワッハハイは、わっはっはとわらうとおもうだろ? ところが、わっはっはとはわらわない。ケリレロとわらうんだ。ざまあみろ」なんて書いてある(笑)
本にざまあみろと言われるなんて思わなくて、もう僕はこの本のことがすっかり好きになってしまって。
初めて自分から親にねだって本を買ってもらいました。

 

−人生で初めてほしいと思ったのが、谷川さんの絵本だったんですね。

 

僕にとってワッハハイは、運命的な出会いでした。
こんな不真面目な本だったら書いてみたいなと思って、自分で同じ内容の本を手書きで作って友達に配りました。
「僕はこんな面白い本を書いたんだよ」って。盗作ですけどね(笑)

 

−「読書が苦痛」から「本を書きたい」に変わるなんて、すごい変化ですね?

 

言葉の面白さや型破りさ、そして奇抜なのに洗練されているというのが8歳の僕にもわかったんです。

この出会いで、僕はもう谷川さんのファンになる運命が決定しました。
のちに僕は新風舎という出版社を立ち上げて、絶版になっていた『ワッハワッハハイのぼうけん』を復刊したんですよ。

谷川さんは、ポエムの神様の力じゃないかと思うぐらいに、不思議な縁を運んでくれる人です。
一番苦しい時に僕を救ってくれて、“詩”という人生のテーマを与えてくれた人でもあります。

 


『ワッハワッハハイのぼうけん』の1ページ。挿絵は和田誠さん

 

憧れの谷川さんとの対面

 

−幼少期に谷川さんの作品に出会ったというお話を聞かせていただきましたが、実際にご本人にお会いしたのはいつ頃ですか?

 

初めて対面したのは大学生の頃、ライブハウスで。
なんだか気取った詩人がタバコを吸いながら座っていたんですよ。その時は、本当に近づきがたい人という印象でした。

その後、平成になって僕が雑誌を創刊して、その雑誌のインタビュイーとして登場してもらったことがありました。それが2回目です。
僕はかなり緊張していたんだけれど、インタビューが終わった後に谷川さんが「ちょっとお茶飲みに行こうよ」と誘ってくれて。新宿のカフェで随分長い時間2人で話しましたよ。

 

−どんなお話をされたんですか?

 

僕も詩を書いたり、詩のメディアを作っていたりしたので、詩についての話が多かったですね。
当時、「詩の世界は閉鎖的すぎる。どうしたら、詩の世界をもっと多くの人が喜ぶものにできるかな?」みたいなことを考えていたんだけれど、谷川さんもまさに同じことを考えていたようで意気投合しました。

その次に会ったのは、出版記念のお食事会です。
なんと僕が出す詩集の帯文を、谷川さんが書いてくれたんですよ!
お食事会にも来てくれたので、お礼を言って、その後一緒にカラオケに行きました。
谷川さんは自分の作詞した『鉄腕アトム』の主題歌を歌っていましたね。
その時『ワッハワッハハイのぼうけん』の話をしたら、その場で僕に復刊を任せると決めてくれたんです。

 


松崎が復刊したワッハハイ。ケース入りの大型本です

 


谷川さんのご自宅にて。いつも色んな人が訪れていました

 

毎日がハレな谷川さんとの本づくり

 

−本を作るときは、どんなふうに作り始めるんですか?

 

どこに旅行に行きましょうか? とか、明日の夜何食べましょうか? みたいな、そういう日常的な雰囲気ですね。
つまり、ものづくりが日常なんです。

 

僕はよく、「谷川さんは毎日がハレですね」って言っていたんだけれど、毎日晴れ舞台に立っているような、一挙手一投足がものづくりにつながってしまうような人でした。
ある意味不幸であり、ある意味幸せなことだと思います。
非常に自然にものづくりをしていて、苦しむというよりも、息をするように楽しんで作っていましたね。
特に晩年は楽しくてしょうがないと言っていました。

 

もちろん俗に言う生みの苦しみはあるんだと思いますが、ランナーズハイみたいに、いつも創作に対する感覚が活性化されていると、そういう苦しみさえ快感に感じるっていうことはあるのかもしれません。

 


ノルウェーのトロムソ。空港に着いてすぐにパブで朗読する谷川さん

 

−ポエムピースからも谷川さんの詩集が出版されていますよね。

 

谷川俊太郎 リフィル型詩集』『となりの谷川俊太郎』の2冊を出しています。

 

谷川俊太郎 リフィル型詩集』は、ポエムピースの中でも、当初oblaat(オブラート)というデザインレーベルの作品として企画したものです。
oblaatでは、詩を外に開くというコンセプトのもと、顕微鏡で読む詩集や、道後温泉の旅館の部屋をまるまる谷川さんの詩集にするイベント「はなのいえ」など、いろいろな企画を実現してきました。
そうした活動の一環で、ページが取り外しできて、ほかのコンテンツとコラボレーション可能な詩集としてリフィル型詩集を構想しました。

 

この作品が珍しいのは、リフィルという形式だけじゃなくて、詩を横書きで掲載しているところ。
僕はそれまで、谷川さんの詩を縦書きでしか見たことがなかったんだけれど、横書きにしてみると縦書きでかしこまって読むよりも、カジュアルに緊張せず読めることに気付いたんです。
それで、谷川さんにおそるおそる横書きにしてもいいか聞いたら、「いいじゃない」ってすぐにOKしてくれて、さすがだなと。

 


4種類のリフィルがあり、自分だけの詩集にカスタムできます

 

となりの谷川俊太郎』の方は、リフィル型詩集を出した後に、やっぱり出版社だから普通の本の形でもしっかりしたものを作ろうということで企画しました。
この詩集は、見開きに収まる短い詩だけを集めたものです。
谷川さんの詩はその世界が深いだけに、長いものが並んでいるよりも短いものをじっくりと読んでほしいなと思っていたんです。それに、その日たまたま開いたページに一つの詩があるって素敵なことだなと思って制作を決めました。

 

詩を選んでくれたのは、谷川俊太郎論で博士号を取って、谷川さん作品の中国語翻訳もたくさん手掛けている田原(ティエン・ユアン)さん。
谷川さんの書き下ろし巻頭詩も収録して、豪華な詩集になりました。

 

途中になってしまっている絵本の企画もあるので、それもいつか出版できたらと考えていますよ。

 


121篇の詩を収録。装丁・装画は人気装丁家の鈴木千佳子さん

 

谷川さんは不思議な力を持った人

 

−谷川さんの特に印象的なエピソードはありますか?

 

締め切りを守る人だなぁと印象に残った話があります。
以前、やってくれるかドキドキするような仕事を頼んだことがあって。
谷川さんも最初は「難しいなあ」と言っていたんだけれど、締め切り日になったらちゃんとカタカタカタカタってファックスが送られてきたんです。

 

あと、僕が編集者としてちょっと苦しい思いをしていて、愚痴をこぼしたことがあったんですよ。
そうしたら翌日、それについて励まして力づけてくれるようなファックスが、これまたカタカタカタカタと届いたことがありました。
そういうことが自然にできるのか、習慣で書いているのかはわからないですけども、律儀な人でしたね。

 

−優しくてマメなお人柄ですね。

 

それから、ちょっと不思議なことが起こるのも印象的でした。
昔、母親と北軽井沢をドライブしていたことがあるんですよ。
それで、「この辺に谷川さんの別荘があって、あの人は暑がりだから夏は大体こっちにいるんだよ。その辺から出てこないかな」なんて言っていたら、バーっと目の前に谷川さんの車が急に現れました。
結構飛ばしていたから、僕も慌てて追っかけていったら、すごい勢いで蕎麦屋に入っていったんです。
僕も急いで蕎麦屋に行って「谷川さーん!」って声を掛けたら、すごく驚いていました(笑)
結局、僕の母親と3人で蕎麦を食べて、別荘にも連れて行ってもらいました。
そういう偶然が、ものすごく起こる人でしたね。

 

それに、ポエムピースから出版している「詩の時間シリーズ」にも参加してくれた詩人の御徒町凧さんという人がいますけれど、彼はインドに彼女と旅行した時にコルカタで谷川さん一家とばったり会ったらしいんです。すごい偶然でしょう。
なんだか不思議な力を持った人なのかもしれないね。

 


北軽井沢にて。美しい工芸品に囲まれて生活しています

 

地球の父なる存在であり、永遠の命

 

谷川さんが亡くなってから、追悼文を頼まれて書いたりしたこともあるんだけれど、なんだか追悼したいというよりも、もう話ができないんだ、対話できないんだって、そういう悲しみを強く感じています。
けれども、残された言葉や作品が膨大にあって、一生かけても読めないぐらいのものが残っている。話ができないと寂しがる暇がないぐらいに。
これから向き合って、作品と対話していくんだろうなと思うと、“永遠の命”ってこういうことなのかなと思っています。

 

例えば、冬の寒い時に暖かい毛布に包まって、癒されたり命拾いしたりするじゃないですか。
言葉っていうのは、毛布みたいに汚れないし消えないでしょ?
本当に永遠の癒しでもあるし、時には起爆剤でもあるし、人に影響を与えるものなんです。

 

今、日本人の読解力が低下しているとか言葉の力が弱っているとか、いろいろな事が言われていますけれど、谷川さんの言葉が「まぁそうでもないんじゃないかな」と思わせてくれます。
やっぱり僕たちの肉体にあるDNA自体が、良い言葉に感応できるようにできているなという気がしますよ。
人の善良性だとか正義感だとか、美しいものを求める心、愛情表現…あらゆることが文学から立ち上がったものをベースにしていて、その文化的な礎の中心にあるのが、無意識の領域を扱うのが非常に上手な詩であると。
詩の才能というのは、やっぱり良い世界にどうしても必要なものなんじゃないかと思いますね。

 

−人が人である限りは、谷川さんのはその作品を通して永遠ということですね。

 

もちろん、永遠の命を目的にして書いているわけではなくて、元々の善良性が原動力だと思うんだけれどね。
詩に限った話ではありませんが、詩人は人の持つ善良性を言語化して共鳴させるのが得意だし、結果的に後世に伝えるのが上手い人たちなんじゃないかなと思います。

 

日本で公害が社会問題化していた頃に谷川さんの『空に小鳥がいなくなった日』という詩集が出ているんですが、中国では同じように公害が深刻化した2010年代くらいから、この詩がすごく読まれるようになったんです。
数十年の時を超えて、作品が人の心に与える影響が地球を巡っているのかなと感じました。
そうなると、谷川俊太郎という人は本当に地球の父なる存在みたいなそんな気もしてきて、その偉大さはちょっと計り知れません。

 


松崎が撮った谷川さんの中で、特にお気に入りの1枚

 

最後に

 

谷川さんの書籍をどんな人に手に取ってもらいたいですか?

 

必要としている人は既に手に取っていると思うので、そういうことに気付いていない人に届けたいですね。
例えば、「詩なんか全然興味ない」とか「谷川さんって誰? 若い作家?」みたいに言う人。あるいは必要だと思っていない人に「これは素晴らしい出会いだ!」って、そう思ってほしいです。
僕は子供の頃『ワッハワッハハイのぼうけん』に出会いましたが、その時は谷川さんのことを知りませんでした。
その本を誰が書いたかなんてずっと忘れていたんです。けれども僕にとっては運命の作品だった。

 

新刊が出たら必ず買うよという人も大事だけれども、なんだか気になって、気になった事さえ気にしていないのに、いつか手に取ってしまう…
そんな出会いが最高じゃないかなと、僕は思います。
そして、そういう時空を超えた出会いを実現するのが出版社の役割だと考えています。

 

 

 

 

谷川俊太郎さんの詩集は、下記のリンクからもご購入可能です。

谷川俊太郎 リフィル型詩集

 

となりの谷川俊太郎

 

 

 

 

 

 

 

2025.02.13

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