この記事について

世界のあらゆるカルチャーに造詣が深いアーティストのカミヤマ マドカ。

そんな彼女がキース ・ヘリングの魅力やあまり知られていない彼の生涯を紹介します。

 

 

 

 

キース・ヘリングを知っているか?

 

 

 

 

アパレルの店舗で、必ずと言って良いくらいポップアートがプリントされた服を目にする。

アンディ・ウォーホル、ジャン=ミッシェル・バスキア、ロイ・リキテンスタイン…。

どれも、美術館で人気の作品ばかりがプリントされた大量に並んでいるのに、実はその作者について知っている人は意外と少ないのかもしれない。

 

そういえば、キース・ヘリングの作品を知っていても彼がどんな人なのか調べたことがなかった。

 

確かに、アンディ・ウォーホルとジャン=ミッシェル・バスキアは伝説的な人生も含め、映画や本で取り上げられることも多く、日本でも何かしらで名前を知る機会に恵まれている。

しかし、キース ヘリングは映画や本で取り上げられる機会も少なく、日本での大規模な展示をここ数年は目にしていない気がする。私は彼に触れる機会が少なかった。

(中村キース・へリング美術館は世界で唯一、キース・ヘリングの美術館ではあるが…)

 

ポップアートの時代を作ったキース・ヘリングとは、一体どんな人だったのだろう?

 

 

 

 

キース・ヘリング  〜ストリート アート ボーイ〜

 

 

 

 

「アートは万人とのコミュニケーションだ。金持ちの売り買いや、解釈なんてどうでもよい。

 

2021年春、MadeGood.filmsから、英BBC制作の「キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜」 のオンライン配信が日本で開始された。

このドキュメンタリーはキース・へリング財団のみが保有する初公開の記録も含み、未公開のインタビューで構成され、トレイラーからでも伝わるように、躍動感溢れる映像は1980年代のNYのストリートを体感している気分になる。

ストリートアートの歴史を知る上でも、とても重要な記録と言ってふさわしい作品だ。

 

予告編: https://youtu.be/nLqYbaA2qlo

 

 

 

何だって、やってみるんだ!

 

 

 

 

「絵を描くことが好きだから、絵を売ってお金を稼ぐ、芸術家になりたい」

 

アメリカの保守的な小さな町に生まれた少年は、幼い頃から両親にそう語り言葉を紙に残していた。

1970年代、ベトナム戦争やアメリカの取り巻く環境に対して、少年は見て見ぬ振りをせず社会に対して思うことを言葉と行動で示した。自主制作の壁新聞を町中に貼ってまわったのだ。

幼いキースのことを愛おしそうに語る両親の足元には、Radiant Baby(キース・へリングの代表作である四つん這いの赤ちゃんのイラスト)が散りばめられたスニーカーが光る。

この時から、きっとキース ヘリングの生き方は決まっていたのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

アートは人々の身近にあるべきものだ!

 

「自分がゲイだってことにも、気づき始めていた」

 

1980年代のNY、今では考えられないほど治安が悪く日中からホームレスとジャンキーに溢れ、常にギャングの抗争で死傷者が出るような町。

しかし、そこにはアートや音楽、ファッションに至るまでアンダーグラウンドから生まれる「ニューウェーブ」という脈打つマグマがあった。

まさにカオスな環境に物怖じせず、自身のアイデンティティを信じキースは自ら飛び込んだのだ。

地下鉄に乗る90%以上の人が近代美術になんて興味がなかった時代と彼の友人は語る。

ストリートから生まれたラップとグラフィティーのカルチャーが、ニューウェーブパンクの感性と出会った瞬間。

抑圧された若者の芸術的なアイデンティティの主張、そして、コミュニケーションとしてのストリートカルチャーが生まれたのだ。

それは、今のInstagramやYouTubeの先駆けと言っても過言ではない。

大きなラジカセからThe B-52’sの「ロック・ロブスター」が大音量で流れる中、NY中の地下鉄の駅、ビルの壁、高速道路の看板、キースは流星のように人々と対話を求め作品を描いた。

そしてインディペンデントとDIYの本質が、現代アートを取り巻く芸術概念を壊したのだった。

 

 

 

 

描くことは自分の中で真実を感じること!

 

 

 

 

「全身全霊で今を生き、未来に立ち向かうんだ」

 

1989年、キースは     AIDS診断を受ける。

眩しいくらいの命の炎を跡形もなく燃やすように、一晩で4作品を仕上げるほど、病を抱えてもキースは創作を止めなかった。

同時に、AIDS撲滅活動、恵まれない子供たちへのアートを通じたプロジェクトや、それらの社会福祉活動に対し、常に積極的に関わっている。

その晩年は、現代アートの本質を捉え、国籍やジェンダー、年齢もヒエラルキーも問わないコミュニケーションの在り方を、自らが作品の一部として体現していたのかもしれない。

それは、NY中の子供と共に行ったアートプロジェクトの参加者の言葉からも伝わってくる。

短い生涯でアートを通じ、対話の在り方を命の限り探求し続けた唯一無二の存在。

それがキース・ヘリングである。

 

 

 

 

日常の外にも世界がある!

 

 

 

 

「何千もの生身の人間が、影響を受けて思考する。僕よりずっと長く作品は生き続ける」

 

このドキュメンタリー映画を通じ、私はキース・ヘリングと深く対話したような感覚になった。

全人類がSNSなどで自分から発信し、繋がることができる時代だからこそ、映画を観たそれぞれが何かを感じられるのかもしれない。

この夏、約160点の作品で構成される大規模な企画展「アート×コミュニケーション=キース・ヘリング展」が札幌芸術の森美術館で開催される。

きっと、コロナ禍の人々へ、視点を広げ対話する可能性についてキースは語ってくれるのだと思う。

映画と合わせて作品に触れてみてはいかがだろう?

 

 

 

 

 

(カミヤマ マドカ)

 

 

 

 

 

《 関連URL 》

ドキュメンタリー映画「キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜 」(配給: MadeGood.films)     
https://www.madegood.com/keith-haring-street-art-boy/

美術展「アート×コミュニケーション=キース・ ヘリング展」(札幌芸術の森美術館) 
https://www.hbc.co.jp/event/keithharing/

 

カミヤマ マドカのプロフィール 》

東京都出身の現代美術家。2007年より独学で芸術活動を始め、2012年から渡英。ロンドン芸術大学 Wimbledon College of Art, BA: Theatre Designを2017年に卒業。大学在学中、2014年よりスペインの演出家 Secun De la Rosaを師事。 マドリードで開催する演劇祭などでChariny Produccionesの舞台美術を2017年まで担当。グランフロント大阪で開催されたMBS主催のサーカスイベント「Grand Nouveau Cirque」のメインビジュアルを担当。 世界的なメディアアートの祭典MUTEK.JP Edition4の公募にて、MUTEK AI Lab. のラボメンバーに選出。渋谷 Edge ofにて開催されたMUTEK AI Lab. では、AIの音の解析データとバンドサウンドを組み合わせたプログラムを使用した プロジェクト「EXPERIMENT:C4」を発表。2020年、自身がアートディレクターを務め、デザイン監修、撮影監修、スタイリスト、編集、ライター、PRマネジメントをトータルで行ったインディペンデントカルチャージン「MEANTIMEΣ」をフリーペーパーとして東京、関西を中心に配布。紙媒体と空間の関係性を追求し「五感と記憶」をコンセプトに「本」をテーマにした新作「Conversation…」を自主出版予定。

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